前日の冷たい雨とは打って変わって晴れ上がった日曜日、都内散歩に出かけた。
出発は田町。駅を出て線路沿いを歩いていると、おぉ、新幹線がすぐそばを通る。
あっという間に一駅分歩いて浜松町で左折する。
今日のコースは先が長いので、芝離宮は入口を眺めるだけにしておく。
世界貿易センタービルの姿がもうすっかりなくなっていた。
街の夜景の中で灯り一つないビルが漆黒に切り取られたように見える写真を撮りたかったのになぁ…
三解脱門の名は、煩悩から解脱した覚りの境地を開くための三種の修行、 「空門」「無相門」「無願門」からなる「三解脱門」に基づいています。
また「三門」と通称されています。
建築様式は三戸二重門、入母屋造、朱漆塗。唐様を中心とした建物に、 和様の勾欄などが加味され、見事な美しさを見せています。
その大きさは、間口十間余(約十九メートル)、奥行五間(約九メートル)、高さ七丈(約二十一メートル)の二階建て構造。 さらに左右には三間(約五・四メートル)の山廊を有しています。
三縁山広度院増上寺
浄土宗の七大本山の一つ。 三縁山広度院増上寺(さんえんざんこうどいんぞうじょうじ)が正式の呼称 です。
開山は明徳四年(一三九三)、浄土宗第八祖 酉誉聖聡(ゆうよしょうそう) 上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区紀尾井町)の地に浄土宗正統根本念仏道場として創建され、文明二年(一四七〇)には勅願所に任ぜられるなど、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に大きく寄与してきました。
江戸時代初期、増上寺法主第十二世源誉存応(げんよぞんのう)上人、後の「観智国師」が徳川家康公から深く帰依(きえ)を受け、手厚い保護を受けました。
慶長三年(一五九八)に現在の地に移転し、徳川将軍家の菩提寺として、また関東十八檀林(だんりん)の筆頭として興隆し、浄土宗の統制機関となりました。 その規模は、寺領一万石余、二十数万坪の境内地、山内寺院四十八宇、学寮百数十軒、常時三千名の僧侶が修学する大寺院でした。 現代でも浄土宗大本山として格式を保ち、宗教活動のほか文化活動も幅広く行われ、建造物、古文書、経典など多数の重要文化財を所蔵しています。
増上寺の隣にあるこの門をくぐって階段を上がると、東京タワーがそそり立っていた。
再び田町駅に戻って線路をくぐり抜け、今度は海へ向かう。
東京湾にかかるレインボーブリッジの壮大な姿。釣りを楽しむ人もいる。
レインボーブリッジを歩いて渡った!
ロードレーサのみなさんが後輪にスケートボードのような台車をつけて自転車を押して歩いているのも面白かった。(あんなもの貸してもらえるのか…と思ったが、ただ自転車に乗って走っちゃダメと言っても途中で絶対に乗りたくなっちゃうから、それを防ぐために強制的につけさせられていたのかもしれない)
この砲台はレプリカなのかな?
春の日差しの中、のんびり過ごす…これがデトックス!
このあとテレポートブリッジを通り、夢の大橋を通り、水の公園広場を歩いて東京ビックサイトへ出た。
14.4Km よく歩いた
余談だが、ゆりかもめの駅に「青海」というのがある。先週行った中央線「青梅」駅に
「ここは青海ではありません」というようなポスターがあった。
到着して呆然とする人がけっこういるのだろう(笑)