自然!スポーツ!芸術!歴史!晩秋を迎えた都心のよくばり”黄葉”ハイキング 2022/12/04

先日、うかつなことにスマホを落としてしまった。ケースに入れていたので無事かと思ったが固い床に角が当たったらしく、画面がインクを流したようになって使い物にならなくなってしまった。

すぐに次のスマホを注文し、データの移し替えに四苦八苦。フワチャンの言うように簡単じゃないよ~

 

youtu.be

 

数日でまぁ、なんとか使えるようになり、やっと外出できるようになった。

ホント、スマホに依存している現代人なんだなぁ、私も。

 

さて、駅からハイキングは秋葉原から。

マーチエキュート神田万世橋

左側、赤レンガ造りの旧万世橋駅の遺構を利用した商業施設。

電車を眺められるカフェがあるということで楽しみにしていたが、開店が11時だったので諦めて先を急いだ。

 

御成道(筋違門跡)

御成道(筋違門跡)

 御成道とは、徳川将軍が参詣などで通る道筋のことを言います。江戸時代、この場所には 江戸城外郭門のひとつ筋違門があり、上野寛永寺の将軍家墓所への参詣と、日光東照宮への 社参の際に、将軍は江戸城大手門から出て神田橋門を通り、この門を抜けて上野に向かいました。 筋違門の名は、日本橋から出発して、本郷・板橋に向かう中山道と御成道が筋違に交差していたためです。門内には火除けの広小路があり八つの口に通じていたため、俗に「八つ小路」と 呼ばれていました。

千代田区

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神田近江屋洋菓子店

なんだかよくわからない写真になってしまったけれど、ツイッターを見て勝手にあこがれている洋菓子屋さんだ。こんなところにあったのか~

twitter.com

 

 

見事な”黄葉”

もう大手町が近い。黄葉の後ろのビルは経団連会館だ。

 

ビジネス街に忽然と現れる将門塚↓

将門塚

東京都指定旧跡

将門塚

指定 昭和四六年二月二六日

所在地 千代田区大手町一の二

平将門は、平安時代中期、坂東八カ国(現・関東地方)で大規模な反乱(天慶の乱)を起こし九四〇年に没しました。享年は、一説には三十八歳と伝わります。

徳治二年(一三〇七)、遊行寺二世真教上人が江戸に行脚した折、将門塚が荒れ果てていたため塚を修復し、板石塔婆を建てて傍らの日輪寺において供養したとされます。その霊は神田明神において祀られ、神田明神が移転した後も塚はこの地に残りましたが、大正十二年(一九二三)の関東大震災後、大蔵省再建に際して崩されました。

 幾多の変遷の後、令和三年(二〇二一)に第六次整備工事として将門塚保存会などにより現況のように整備されたものです。

令和三年五月

東京都教育委員会

 


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ここから皇居の南側を半周するようにして美しく整備された道路を歩く。

皇居の乾通りの一般公開に人が集まっているようだ。

皇居 二重橋

桜田門からひと気のない永田町・霞が関を通り抜ける。

霞が関の”黄葉”

 

国会議事堂裏手の急な坂道

山王坂

 江戸時代、山王社(日枝神社)の西側には、外堀の一部である溜池があり、赤坂側から入ることができませんでした。

そのため、この坂道は山王社の表参道として利用されたことから名付けられました。

坂上には第一鳥居が、坂下には第二鳥居があり、坂の北側には門前町屋が並んでいました。

将軍やその名代を務めた大名たちも、この坂道を通って、山王社に参詣していました。 

千代田区 

 

山王坂を下りきると日枝神社だ。12月に入っているがまだ七五三でにぎわっていた。

日枝神社
日枝神社の小さな鳥居と大きな鳥居

千本鳥居は撮影スポットとして大人気で、常に誰かが「はい、ポーズ」をしていてなかなか通行できない。

 

この後、六本木通りを下り、国立新美術館を通り抜けて、外苑の銀杏並木に向かう。

外苑銀杏並木

もう葉があまり残っていない。今年の落葉は早いのではないかしら。

 

外苑を北上して千駄ヶ谷駅にゴール!

新しいスマホのカメラ、いかがだったでしょう。

12.7Km  けっこう歩いた~