春告げる梅の香に誘われて~青梅の梅づくし~ 2023/03/12

今日は青梅!ハイキングでは通りかかることが多いけれど、街歩きはあまりしたことがないかもしれない。

駅はちびっこでにぎわっていた。なにかイベントがあるのかな?

駅から外に出てみると、街自体がレトロだ。

丸いポストも

 

旧稲葉家住宅

東京都指定有形民俗文化財

旧稲葉家住宅

所在地 青梅市森下町四九九番地

指定 昭和五六年三月一二日 

 

稲葉家は、江戸時代に青梅宿の町年寄を務めた家柄で、青梅でも有数の豪商でした。 青梅街道に沿って土蔵造二階建ての主屋、門、棟割長屋が並び、主屋の東側に井戸と、北側には土蔵があります。

間口五間半、奥行七間の土蔵造の主屋の表部分は、店舗として商業活動に充てられ、 奥の部分は生活の場となっていました。

店舗部分は、間口いっぱいに土間を持つ 前土間形式で、防火戸の収納部となる袖壁 を左右にもつ一階部分と、土戶で守られた登り梁形式の二階部分からなっています。 軒の低い登り梁形式から、江戸時代後期(一八世紀後半)の建築であると考えられます。 また土蔵は明治一九年(一八八六)頃の建築、棟割長屋門・井戸屋方はその後の建築と考えられます。

 

平成二三年三月 建設

東京都教育委員会

 

青梅街道から少し外れたところに立派なお寺があった。

金剛寺

金剛寺表門

東京都指定有形文化財(建造物)

金剛寺表門

所在地 青梅市青梅一〇三二 指定 昭和三六年一月三一日

真言宗豊山派青梅山無量寿金剛寺平将門の 創立と伝えらますが、元亨年間(一三二一~二四) に再興され、三田氏、小田原北条氏の帰依を得た古刹です。この表門は、天保二年(一八三一)の火災の際に、金剛寺の諸堂宇の中で唯一焼失を免れた建造物です。明治の初期に街区の整理により現在地に移築され、その際に屋根、礎盤(石造または木造の繰形を呈する柱と礎石の間に据えるもの)などが改変されていますが、旧状をよく保っています。 構造は一間(二・七五m)の間口に、出入り口が一つの一間一戶の四脚門で、屋根は切妻造、瓦棒銅板葺 です。二本の主柱から一〇六m離れた門の外側と 内側に四本の控柱を設えています。門の主柱と控柱をつなぐ頭貫の木鼻と拳鼻部分に彫られた渦文様の上に鳥が飛ぶような絵様と呼ぶ装飾は、桃山時代の技法を伝えているといわれます。この絵様から、表門が建立されたのは一七世紀前半ないし中頃と推定されています。この表門は小型で簡素な門ですが、江戸時代後期の、彫刻を多用する建物とは異なった趣があります。

平成二二年三月 建設

東京都教育委員会

 

金剛寺には「青梅」の地名のもとにになった梅の木があった。

東京都指定天然記念物

金剛寺の青梅

 

所在地 青梅市青梅一、〇三二 金剛寺

指定大正十一年六月 

 

平安時代に活躍した平将門の伝説を持つ古木であるが、現在では完全に老衰期にある。

この梅は季節が過ぎても黄熟せず、落実まで青く、このため「青梅」と称せられ、青梅市の名称もこれによって付けられたといい、いわば青梅市の象徴でもある。しかし、植物学的には突然変異であるとされているが、滝上氏所有の梅もこの種の「青梅」だと言われている。

 

平成五年三月三一日 建設

東京都教育委員会

 

青梅駅を出発していつの間にか一駅分歩いた。隣の宮ノ平駅から少し南に下ると日向和田臨川庭園がある。

多摩川を臨む庭園

この庭園は、 青梅市出身の元代議士故津雲国利氏の御遺族から青梅市に御寄付いただいたものです。
園名は、故人が生前この園地を「臨川梅園」と愛称しておりましたので、 その名にちなんで「日向和田臨川庭園」といたしました。
青梅市

春~

 

明白院山門

有形文化財明白院山門

本寺は日向山と号し、本尊は勝軍地蔵である。天正年間(一五七三~一五九二)天江東岳を開山として、勝沼城主三田氏の遺臣野口刑部丞秀房を開基として創立された。

この山門は、日向和田の館(楯) の城にあったものを明白院建立の際ここに移したと伝えられ、木造茅葺一間一戸の四脚門として市内に現存する山門の中で最も古構を遺す一例として貴重である。

昭和四十三年十一月三日 指定

青梅市教育委員会

 

和田橋を渡り、多摩川を越えた。海まで64Kmと書いてあった。

竹林寺の脇から鎌倉街道に入る

街道といっても、昔の道ってこんなものだったんだなぁ…

鎌倉街道

鎌倉街道という名称は、中世において政治、軍事、 文化の中心が鎌倉にあったころ発達した道を今日に伝えているものです。この鎌倉街道も上州から秩父盆地を通過し、山間部の集落を経て、やがて鎌倉に至る重要な道でした。

市内には、埼玉県飯能市(旧名栗村)の小沢峠から入り、上成木の松の木峠、榎峠を越えて多摩川を渡り柚木町に至ります。

そして、ここ梅郷地区では、山麓沿いの古集落燗を縫って進み、杉平(竹林寺付近)を経て梅ケ谷峠を越えて日の出町落合に出るか、または、和田町を経て馬引沢峠から日の出町玉の内に出たといわれています。

青梅市

(参考 青梅市史)

 

鎌倉街道を通り抜けると丘陵地帯に梅の公園がある。

このあたりは、梅を栽培する農家が多く、吉野梅郷と呼ばれてる。その中心が梅の公園だ。梅の名所ランキングで一位に選ばれたこともあるそうだが、ウメ輪紋ウイルスに感染し、平成26年にすべて伐採されたそうだ。平成28年より再植樹された若木が花をつけ、よい香りを漂わせていた。

梅の公園

ところどころに、かつての花盛りの様子が掲げられていた。通り過ぎる人も、「あと10年たってもこうはならないだろうなぁ…」とため息を漏らす。

私もこのような枝ぶりになる頃には、この山道は登れないだろう…と思った。

なんだか諸行無常を感じるハイキングだった。

 

9.4Km