小江戸さわら雛めぐりハイキング 2024/03/03


3月と言えばひな祭り

佐原ではお雛様に扮した人々が小舟に乗って川遊びをするという。開催予定日だった2日は寒かったので、翌日のホントのひな祭りの日に出かけた。東京駅から高速バスでひとっ飛びだ。

佐原駅

駅前には郷土の偉人・伊能忠敬

まずは北へ向かい、利根川を見に行く。

道の駅・川の駅「水の郷さわら」から

川とは思えないような広々とした眺めだ。

ここから小野川に沿って町の中心部へと歩く。小さなボートで川面から街を案内してくれるようだ。昨日のお雛様もここで川遊びを楽しんだのでしょう。

さわら雛舟春祭り|イベント紹介|佐原おかみさん会

小野川沿いの遊歩道

佐原には江戸時代から利根川水運により繁栄した商家の町並みが残っていて、伝統的建造物群保存地区に指定し、建物の外観の保存に努めているそうだ。

そうした財を成した商家には立派なお雛様もあるようで、古い建物の奥の薄明りの中にいらっしゃる殿や姫を訪ねて歩くのも乙なものだった。

 

正上醤油店

 正上は寛政12年(1800)の創業で、古くは食用油を商っていたが、天保3年(1832)からは醤油業を営んでいる。香取街道にほど近い、船運の重要な流通路であった小野川に面した町家で、店舗背後の敷地内に多くの建物が建ち並んだ屋敷構えである。店のすぐ前の小野川の川岸には荷揚場であった「だし」も現存している。正上醤油店の店舗と土蔵は県指定有形文化財(建造物)に指定されているほか、重要伝統的建造物群保存地区内の建造物でもある。

 店舗は江戸時代後期の天保3年(1832)に建築されたと伝えられる。1階は内側に揚げ戸(鎧戸)を建て込み、外側の土庇を格子戸と壁で囲う構えとし、2階正面に繊細な格子窓を組み、軒を大きく出した「せがい」とするなど、格式のある形式となっている。

 土蔵は明治時代前期の建築で、寄棟造の屋根の妻と、1・2階の観音開きの窓を表通りに向けた外観は、建築当時の典型的な外観構成となっている。

 これらは、特に外観の保存状態が良く、意匠も優れていることから、佐原河岸の景観を構成する重要な要素ということができる。 千葉県教育委員会

 

旧油忽商店

旧油忽商店 千葉県指定有形文化財

旧店舗: 寄棟妻入り 明治33年(1900)築
土蔵: 切妻平入り 寛政10年(1798)築
寛政6年(1794)創業

江戸時代、酒や奈良漬けの製造販売を行った 旧店舗は明治25年(1892) 大火後の建築、 佐原には珍しい寄棟総2階造りて廊下を挟んで 大正期の増築部、奥に枯山水の庭を配する。表に は格子戸を嵌め、半間内側に蔀戸を下ろし店舗と する商家の形態をよく残す。土蔵梁に寛政10年の 銘あり佐原最古の土蔵とされる。二重の引き戸は、 観音扉が普及する以前の形式である。

 

福新呉服店

福新呉服店  千葉県指定有形文化財

店舗: 切妻平入り 明治28年 (1895)築
土蔵: 切妻平入り 明治初年 築
文化元年(1804)創業

 明治25年の大火後、前・側面を厚塗り壁の 周囲に、さらに塀を廻らして防火構造とする。昭和初期に洋風を意識して下屋をテラスにし 高欄を配して透かし看板をつけ、また、 窓には小割のガラス戸を嵌め、周囲を銅板で 飾り立てた。道路に面した2階建ての店舗と 奥の平屋・中庭・土蔵と連なる建物配置は、 佐原で見られた商家の屋敷です。

福新呉服店のお雛様

このお内裏様は佐原一のイケメンだそうだ。姫も美しい。

 

正文堂書店

正文堂書店  千葉県指定有形文化財

店舗: 切妻平入り 店舗、明治13年(1880)築
享保年間(1716~1736)から本の出版・販売

享保年間から「朝野正文堂」「伊能正文堂」「前田正文堂」と続いた書店で、和本を陳列する戸棚も備わっ ていた。本格的な「店蔵造り」で意匠・技術ともに秀でている。前面2階の観音開き戸は、内に横引き土戸、さらに板戸と3重構成。屋根瓦は「小江戸瓦」 と称する、明治時代の一時期東京亀戸で焼かれた小振りの瓦で葺かれ、本瓦葺を意識した粋を感じさせる。

 

千葉商船ビル

これは昭和初期の洋館をモデルにして作られた新しい建物だそうだ。街によく溶け込んでいる。

千葉商船ビル | 岡建工事株式会社

 

中村屋乾物店

 中村屋乾物店は、小野川右岸にあって、香取街道に面した町家である。中村屋は江戸時代の創業以来の乾物商で、中村屋の屋号は多古町中村の出身であることにちなんだものという。店舗と文庫蔵は、県指定有形文化財(建造物)に指定されているほか、重要伝統的建造物群保存地区内の建物でもある。

 店舗は、明治25年(1892)に佐原を襲った大火直後に建築されたもので、当時最高の技術を駆使した防火構造であり、壁の厚さが1尺5寸(約45cm)にもなる。間口は3間で、1階は畳敷と通り抜け土間のある店構え、2階は屋根裏を表した倉庫になっている。1階の正面は揚戸と土間の建て込み、2階は観音開きの土戸としている。

 文庫蔵は店舗から1間程離れて建つ3階建ての建物で、1階と2階は明治18年(1885)の建築、3階は店舗とともに明治25年(1892)の大火の前の形で再建されたもので、2室続きの座敷になっている。

 限られた敷地の中に蔵造りの建物が建つため、居室に文庫蔵の3階をあてるなど居住空間の配慮に工夫が見られるのが特色である。 千葉県教育委員会

奥に見える暖簾に染め抜かれた〇に平の字、これが本家だそうで、分家になると似ているけれどちょっと違う意匠になっていると、案内人の方の説明があった。

分家のマーク

植田屋荒物店

植田屋荒物店

店舗: 切妻平入り 明治26年(1893)築 (奥)寄棟2階建て 前建物後
土蔵: 切妻妻入り 明治初年 築
創業:宝暦9年(1759)

初代辻仁兵衛は、近江(蒲生)の出で現在8代目となる。 屋号「植田屋」かつて荒物と畳表の卸業が主で、「大分県から 産地直輸入畳表」と書かれた奇妙な看板を見ることができる。
明治25年大火後に平屋の店舗を、その後奥に2階建てを増築して店舗兼住宅とした。土蔵は、大火前の建物で一般公開されており、又首組構造の大きな棟木を見ることができる。 この棟木は6間の長尺で搬入の際大変であったと聞く。

棟木は松の木だそうだ。近江商人の初代から代々商売に励みこれほどの倉を建てるほど財を成す。。黒光りした棟木にご先祖様の姿が映っているようだ。

 

三菱銀行佐原支店旧本館

の建物は、大正3年(1914)に川崎銀行佐原支店として建設されたものである。当時の建築設計図には、清水満之助本店(現在の清水建設)技術部の設計になることが記されている。昭和18年(1943)に川崎銀行は三菱銀行と合併し、三菱銀行佐原支店となったが、平成元年(1989)に銀行の新店舗が完成したことに伴い、この旧店舗は香取市に寄贈されて今日に至る。

物は煉瓦造2階建て、木骨銅板葺屋根の明治時代の洋風レンガ建築の流れをくんでいる。内部は吹き抜けで、2階周囲には回廊がある。正面右隅に造られた入口はルネサンス風の外観で、この区画の頂上にはドームが付けられており、建物全体の景観にアクセントが与えられている。全体のデザインは、ルネサンス様式で、レンガと花崗岩で構成される特徴的な外観の建物である。  千葉県教育委員会

 

伝統的建造物群保存地区から少し離れた八坂神社では骨董市が立っていた。

(こういうところは午前中に来なければいいものはないそうだ…)

敷地内に水郷佐原山車会館があった。見てくればよかった…

八坂神社

水郷佐原山車会館
平成28年にユネスコ無形文化遺産に登録された関東三大山車祭「佐原の大祭」で勇壮に曳き廻される山車が2台展示されています。上部に4メートルの大人形、周囲に重工かつ繊細な彫刻が飾り付けられた総欅づくりの山車は訪れた方々に佐原の粋を見せることができるでしょう。

 

そこから今度は南に下り、観福寺を訪れた。

観福寺本堂

観福寺は川崎大師・西新井大師と並ぶ、関東三大厄除大師の一つだそうだ。そして伊能家の墓所がある。

伊能忠敬

一七四五年、上総国山辺郡小関村(千葉県山武郡九十九里町)に生れ、十七歳のとき佐原村の伊能家 の婚嗣子となった。以後三十余年の間、名門伊能家 の主人として、また、村の名主、村方後見などの役についてはたらいた。 隠居後、五十歳で江戸へ出て、幕府天文方高橋至時から本格的に西洋流の暦学を学び、幕命によって一八〇〇年から十七年間、全国の海岸線を実測して精密な地図をつくった。これによって、日本の国土の正確な形と地球上の位置がはじめて明らかにされた。

一八一八年五月十七日(文政元年四月十三日)江戸八丁堀亀島町で死去。七十三歳。遺言により 遺体は浅草源空寺の高橋至時の墓側に葬られた。 佐原観福寺の伊能家の墓所には遺髪と爪が埋められた。

佐原の伝統・文化を大切にする会

 

北上して再び伝統的建造物群保存地区のほうに戻る。

与倉屋大土蔵

のっぺりとした壁のようだが中は大変広く、コンサートなども行われるらしい。

よい動画を見つけた。

youtu.be

佐原には造り酒屋も多い。本当に豊かな町だったのだなと思う。

馬場本店



東薫酒造のお雛様

楽し気にいろいろな遊びをするお雛様も珍しい。

お嫁にいらした 姉様によく似た官女の 白い顔

 

清宮

清宮

母屋: 寄棟平入り 明和2年(1765)改築
土蔵(右): 切妻平入り 明治2年(1869) 築
土蔵(左の2棟): 切妻平入り 明治期 築
創業:享保15年(1730)

穀物商·醬油醸造・質商等を営んでいた。母屋は、江戸時代末から明治初期の漢学者であり、地理・歴史・儒学にも長じた清宮秀堅の旧宅。著書には、「下総国旧事考」 「三郡小誌」「新撰 」「成田参詣記」「北総詩誌」など多数。

大きな屋敷に母屋・門・黒塀・庭・土蔵が配され、元名主としての趣が感じられる。母屋は、佐原に残る数少ない江戸時代の住宅建築で、間取りや部材にその特色を見ることができる。右側の土蔵屋根瓦は、「小江戸蔵」と称する特殊な瓦で、気品を感じる。

母屋には今も清宮さんが住んでおられるそうだが、そのほかの建物は古民家風のおしゃれなホテルになっている。

 

再び、伝統的建造物群保存地区の中心に戻ってきた。この橋はTVのCMで見たことがある気がする。

ジャージャー橋

あ、これだこれだ(笑)

youtu.be

 伊能忠敬旧宅前にある、小野川にかかる橋。もとは江戸時代の前期につくられた佐原村用水を、小野川の東岸から対岸の水田に送るための大樋でした。300年近く使われ、戦前にコンクリートの橋になってからも橋の下側につけられた大樋を流れる水が、小野川にあふれ落ちて「ジャージャー」と音を立てるので、「ジャージャー橋」の通称で親しまれていました。

 今の橋は観光用につくられたもので、30分ごとに落水させています。この樋橋の落水は「残したい日本の音風景100選」に選ばれています。

 

さぁ、最後はやはり伊能忠敬で締めなくては。

伊能忠敬関係資料」2345点は平成22年6月29日国宝に指定されました。

伊能忠敬記念館で見た大きな日本地図、それが現代の人工衛星を使ってみた日本とほとんど同じなのは驚きだ。

家業も、自分が婿養子としてついでから隠居するまでに3倍の規模にしたそうだ。数学のできる人だったことは間違いない!

天性の好奇心、バックボーンとなる財力、健康長寿などがあって、大きな功績を残したことは、牧野富太郎博士と通じるものがあるなぁ(まだ「らんまん」の余韻が…)

 

お気に入りのポッドキャスト「そんない理科の時間B」でも伊能忠敬を取り上げた回があるので、どんなにすごい人かはそちらでどうぞ。

sonnai.com

というわけで、見どころいっぱいの佐原だった。

ちょうど10Km

真鶴名産小松石に刻まれた歴史とアートをめぐる 2024/02/11

真鶴は石のまちだそうだ。

本小松石という石が採れ、鎌倉時代には鎌倉のまちの建設のために、江戸時代も江戸城の築城や品川台場の築造のために、真鶴港から船で運び出されたという。

そんな石のまちにある古くからの石碑や、最近の彫刻祭の作品を訪ねて回るのが今回のハイキングのテーマだ。(けれど、石は地味。。。見逃してしまったのもいくつもある…)

まずは、お寺さんから

瀧門寺

瀧門寺入口の五層塔

塔身は一つの石からつくり上げられたもので、江戸初期(一六五四建立)の彫刻技術水準の高さを示しています。

 

そこから少し歩いて海辺へ

源頼朝船出の浜
もらった絵葉書と頼朝の船出を見送った猫(ウソ)

西のほうに視界が開けると真鶴半島が見えた。あの先まで歩くのだ!

真鶴のイルカ

石の道

振り返ると見えるのが小松山(たぶん) かつてこの道を通り、港まで人力で石を運んだ。

貴船神社

貴船神社

御祭神 大国主神 事代主神 少彦名神

創建は平安時代宇多天皇の寛平元年(八八九)六月十五日と伝える。古来真鶴の鎮守 で、漁業や海上安全の守り神ともされ、人々の篤い信仰を受けて貴宮大明神と呼ばれた。 明治初年貴船神社と改称し、同六年郷社に列せられた。大正十二年の関東大震災から復興するに当り、境内を拡張して昭和十年現在地に社殿を移転、同三十八年本格的な造営が完 成した。拝殿内部の彫刻一切は、幕末の巨匠江奈の半兵衛の名作である。

大正三年二月、華項宮博忠王殿下、久通宮邦久王殿下の御参拝があった。

例祭は毎年七月二十七.二十八日・神輿の海上渡御は日本三船祭りの一つとして名高くこれを含む「貴船神社の船祭り」は、昭和三十三年に神奈川県無形文化財、同五十一年に 同県無形民俗文化財、平成八年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。

長い石段は煩悩の数と同じ百八段あるといわれる。登りながら数えてみたところもっとあった。たぶん登る人の煩悩の多さによって変わるのだろう。。

 

うに清

昔の上司が「真鶴へ行ったらうに清がうまいよ、ぜひ行きなさい」と言っていたことを覚えている。とうとう来ましたよ~ あれから何十年も経っているのに予約がないと入れないご繁盛ぶり、美味しいのでしょうねぇ。でも一人で船盛は食べられないので、泣く泣くパス。

振り返ると真鶴港の向こうには雪化粧した連なる山々が見えた。方角からすると丹沢だろうか。

さらに山道を登っていくと、いよいよ真鶴のシンボル「三ツ石」が眼下に見えてきた。

三ツ石

わが立てる 真鶴崎が二つにす 相模の海と伊豆の白波  与謝野晶子

三ツ石は日本でも珍しいトンボロ現象(普段は海によって隔てられている陸地と島が、干潮時に干上がった海底で繋がる現象のこと)がみられる場所だそうだ。三ツ石の磯場は足元が悪く、潮が満ちてくると戻れなくなるので渡るのはお勧めしません、と書いてあった。実際に降りてみると、丸い石がゴロゴロしていて海藻も生え、渡る以前に足をくじきそうだった。

 

そうそう、石の彫刻も紹介しておかなくては…

石の作品たち

真鶴町石の彫刻祭の作品/真鶴町

中でも印象に残ったのはこちら

石の時間 川口龍夫作

石の側面にひそかに北斗七星の形に穴をあけ、古代蓮の種を埋め込んであるそうだ。(気が付かなかった…)

作者が予想する10万年後に花開くだろうか。何回転生したらその時に立ち会えるかわからないが、見てみたいものだ。

 

10万年後の世界に鳥はいるだろうか。春めいてきた光に誘われたのか、写真に収まってくれた鳥たち

メジロジョウビタキ
クロサギ?・ウ?

 

最後に訪れたのはお林展望公園だ。パークゴルフを楽しむ人々の間を抜けて先端まで行くと初島が風景の中心に見えた。

お林展望公園

けっこうアップダウンのあるコースだったが、膝が痛くなることはなかった。九月から続けているフィットネスの成果だと嬉しいのだけれど。

 

10.4Km

上野東照宮ぼたん苑

久しぶりに上野へ行った。

科学博物館で「和食」展を見たあと、暖かさに誘われて東照宮ぼたん苑に足を運んだ。

冬牡丹がまぁ、きれい。雪もないし、日差しもなくて面白くない写真かもしれないがたくさん撮ってきた。ぼたん苑のホームページによると、40品種ということだが、その倍はあったと思う。写真を整理して名前と合わせて…というのが大変な作業だったので、本当はここに全部載せたい!

でも花の写真ばかりだらだらといつまでも続くページはひんしゅくを買いそうなので、苑のそこここに掲げられていた俳句を、この句のイメージならこの花では?と勝手に紐づけてみようと思う。

毛筆書きの俳句を正しく写せているかどうかはわかりませんよ。

 

【藁囲ひはみ出してゐる冬牡丹】

聖代

 

【寒牡丹絹のふくらむごとくなり】

五大州

 

【寒牡丹開きて言葉ある如し】

花王

 

【美しく老ゆるは難し白牡丹】

銀河

 

【寒牡丹施無畏のごとくひらき初む】

月桂冠

 

【ひらききり冬の捨て身の白牡丹】

木蓮

 

【ためらわずほぐれしは濃き寒牡丹】

皇嘉門

 

【背き合ひ相寄り籠る寒牡丹】

阿蘇の司

 

【静かさのかなめに白き寒牡丹】

白雁

 

【火の色を恋いて火色の冬牡丹】

島錦

 

【句に詠めば白さの失せむ寒牡丹】

御国の旗

 

【冬ぼたんひとときは世のほかに居り】

島長寿楽

 

【寒牡丹胎内佛のおはすごと】

百花殿

 

【純白は誇りの極み寒牡丹】

富士の峰

 

【菰内に葉を溢れしめ冬牡丹】

黄冠

 

【白妙の珠の緒を解き寒牡丹】

暁の雪

 

楊貴妃は知らねどかくや寒牡丹】

八千代椿

 

【夢幾夜重ねてひらき寒牡丹】

明日香

 

【開かむと気息ととのふ冬ぼたん】

娘花祭

 

【渡来してからくれなゐの寒牡丹】

シャントール

 

【くれなゐの二花抱き合ふる寒牡丹】

向陽

 

【咲くことを恐れぬ白さ寒牡丹】

連鶴

 

【八方に開き崩れず寒牡丹】

夜鳥

 

【対の如く競える如く寒牡丹】

村松の雪

 

【冬牡丹咲きし証しの紅散らす】

今猩々

 

【夢の又夢の色なり冬牡丹】

島の藤

 

【長居して牡丹に齢奪はるる】

 

初夢

1月2日、初もうでに行った。

場所は落合氷川神社西武新宿線の車中から鳥居がよく見えるのでなじみがあったが、行ったのは初めてだ。



お賽銭箱に宝船の絵が置いてあり、枕の下に敷いて寝てくださいと書いてあったので一枚いただいてきた。

 

するとその晩夢を見た。

昔働いていた職場のチームリーダーのお姉さんが現れて、なにかリアルな会話をしたのだ。そのお姉さんのことは退職後数十年間、たぶん一度も思い出したことはなかったのに。

似たような体験は、ノロだかロタだかの感染症にかかって苦しんだ時にもあった。人は死ぬときに走馬灯のように今までの人生を見るというが、まさにそんな感じで、トイレに閉じこもってゲーゲーピーピーしているときに普段思い出しもしないことがふとよみがえってきたりして不思議に思った。

記憶とは不思議なものだ。忘れたと思っても実は湖深くに沈んでいて取り出せなくなっているだけなのだろうか。

年齢とともに記憶力が衰えていくのを自覚しているが、覚えるほう(input)はどうにもならなくても、沈んでいる記憶を釣り上げるほう(output)は、もしかしたら画期的な手段をだれかが開発してくれるかもしれない。

その日はいつかなあ…

チームリーダーのお姉さんと交わしたリアルな会話は、目覚めたときには覚えていたのに、いつの間にかまた記憶の湖に沈んでいき今ではまったく思い出せない。

 

枕の下に敷いた宝船の絵を見ると、船いっぱいのお宝は記憶の湖から釣り上げたたくさんの思い出に見えてきた。

 

 

 

 

ナンだカンだでおおつごもり

2023年も終わろうとしている。

今年は次女の家がインフルエンザに次々とかかり、大晦日生まれの孫の誕生日会が危ぶまれた。

そこで、ばあちゃん出動!ケーキを買って届けるくらいしてあげるわよと声を掛けたら、ネットで見たイチゴいっぱいのこのケーキがいいと巣鴨のケーキ屋さんを指定された。す、巣鴨?え~

仕方ない、ヨシ、行ってやろうじゃないの と出かけようとした矢先、アメリカにいる長女からテレビ電話が…

クリスマスに電動自転車を盗まれてしまったそうだ。ガレージが開いていて、それは自分が閉め忘れたのか、泥棒さんがなにかデバイスを使って開けたのかはわからないが、バッテリーは外して家に持ち帰っていた、しかし、ガレージの中だし大丈夫だろうと自転車にカギはかけていなかったとのこと。犯人は重~い自転車をエッサカホッサカ運び出したらしい。

長女は、ショックだ!高い勉強代だったと落ち込んでいた。

 

その話をケーキを届けに行きついでに次女に話した。比較的治安のよさそうなところでもそんな目に遭うんだね~、外国って怖いね~ などと話していると、そばで聞いていた孫が「怖い話やめて、怖い話聞きたくない」と次女にしがみついている。「大丈夫だよ、日本は」と言って、ばあちゃんと娘はひそひそと話を続けていると「やめて~ もうテレビつけちゃう」と言って自分の耳に入らないようにしようとする。

 

なんだか、幼児のふわふわな柔らかな心に触れたようで、きゅんとした。

 

 

正月の生花はナンテン(難を転ずる)です。

来年もみんなが元気で無事でありますように。

たまには読書でも…(6)

大塚ひかりさんの嫉妬と階級の『源氏物語を読んだ。

源氏物語ってこういうお話だったのか…

高校時代の古典の授業で習ったものとしては枕草子のほうが印象に残っているが、今、源氏物語の内容を知ってみれば、そりゃ、高校生に教えるには抵抗があったのでしょうね。一文か二文取り出して文法の解説とかしておしまいになっていたのかも…

 

著者は千年前の物語を、見てきたように現代の私たちに語ってくれる。まるで物語から抜け出してきたかのようだ。

来年の大河ドラマは全然楽しみではなかったけれど、俄然興味がわいてきた。

大塚先生、ありがとうございます!