梅雨の合間の坂道巡り(1)

 

職場のある港区周辺の坂道には標識を立ててあることが多く、そこに記してある名前の由来を読むのも楽しい。

しとしと雨の合間を縫って坂道標識コレクションでもしますか。

(写真のキャプションは標識に記してある説明文を借用しています)

 

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かずみざか 明治初年に霞山稲荷(現在の桜田神社)から霞町の町名ができ,そこを貫通する道が明治二十年代に開かれて霞坂と呼んだ。

 車の往来の激しい六本木通りにひっそりと標識が立っている。歩いていて気付く人があるだろうか。

 

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うしざか 源経基や 白金長者の伝説のある笄橋に続く 古代の交通路で,牛車が往来したためと想像される。

 緩やかな坂道を牛車が行き交っていた賑やかな時代を想像してみる。今では大きな邸宅が並ぶ静かな道だ。

 

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ほったざか  江戸時代には,大名堀田家の下屋敷に向って登る坂になっていた。

この坂を上り切ると広尾ガーデンヒルズの森、下りきると最近、草刈正雄が盛んに宣伝している納骨堂が近い。高級路線!?

 

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てっぽうざか 江戸時代、坂のがけ下に幕府の鉄砲練習場があったことからこの名がついた。

この写真の中に終点の標識が見えるほど短い坂。そしてその続きは次の北条坂になっている。

 

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ほうじょうざか  坂下近く南側に大名 北条家の下屋敷があったためにこの名がついた。

 北条坂を上りきると次の木下坂に突き当たる。

 

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きのしたざか 北側は,大名木下家の屋敷がありその門前に面していたために,よばれるようになった坂名である。

 有栖川公園の西側の坂道。この辺りは麻布中学・高校の秀才たちの通学路になっている。

 

ここからは、麻布の台地から渋谷川に向かって下る坂道である。 

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あおきざか 江戸時代中期以後 北側に旗本青木氏の屋敷があったために呼ばれた。

 

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しんふじみざか  江戸時代からあった富士見坂(青木坂)とは別に明治末大正ごろに開かれた坂で冨士がよく見えるための名であった。

 

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しんざか 新しく開かれた坂の意味であるが、開かれたのは明治二十年代と推定される。

 

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やくえんざか  江戸時代前期坂の西部に幕府の御薬園(薬草栽培所・小石川植物園の前身)があった。なまって役人坂・役員坂と呼ぶ。

 

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ぜっこうざか 承応2年(1654),坂の東側へ赤坂から曹渓寺が移転して来た。初代和尚絶江が名僧で 付近の地名となり 坂名に変った。

 

 さて、長くなったので続きは次のページに。。。