梅雨の合間の坂道巡り(6)

第六弾は赤坂周辺となります。港区って広い!

 

(写真のキャプションは標識に記してある説明文を借用しています)

 

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なんぶざか 江戸時代初期に南部家中屋敷があったためといい「忠臣蔵」で有名である。のち険しいため難歩坂とも書いた。

右側の石垣の上はアメリカ大使館宿舎の敷地だそうだ。六本木ヒルズの展望室から見た時に広大な敷地にプレハブの塊のような建物がいくつもあって、不思議に思っていた。(もちろんプレハブ小屋ではない)

 

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ひのきざか 江戸時代には、檜の木が多いため、檜屋敷と呼ばれた山口藩毛利邸(檜町公園)に添う坂であった。

左側の緑は檜町公園

 

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もとひかわざか 坂途中の東側に本氷川明神があって坂の名になった。社は明治十六年四月、氷川神社に合祀された。元氷川坂とも書いた。

 坂の下には勝海舟邸跡がある。

 

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ひかわざか 八代将軍徳川吉宗の命で建てられた氷川神社のもと正面に当る坂である。

 

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ころびざか 江戸時代から道が悪く、通行する人たちがよくころんだために呼んだ。一時盛徳寺横の元氷川坂もころび坂といった。

今では、元氷川坂のほうが勾配もあり、木々の陰で足元も見えづらいので転びやすい気がする。

 

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さんぷんざか 急坂のため通る車賃を銀三分(さんぷん百円余)増ししたためという。坂下の渡し賃一分に対していったとの説もある。さんぶでは四分の三両になるので誤り。

左側の築地塀は、江戸時代の力士、雷電の墓がある報土寺のもの。

 

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いなりざか 坂下北側に円通院があり、その境内の稲荷への門があったための坂名。坂上江戸城中清掃役の町があり掃除坂ともいう。

お城の清掃役の町があったんだぁ…

 

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しんざか できた当時は、新しい坂の意味だったが、開かれたのは古く元禄十二年(一六九九)である。しんさかとも発音する。

 

 

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えんつうじざか 元禄八年(一六九五)に付近から坂上南側に移転した寺院の名称をとった。それ以前に同名の別寺があったともいう。

TBS本社などがある丘の上から赤坂見附方面へ下る長い坂道。

 

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やげんざか 中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。付近の住民の名で、何右衛門坂とも呼んだ。

こちらは、赤坂御用地方面へ下る坂道。

 

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たんござか 元禄初年(一六八八)に開かれたと推定される坂。その当時、東北側に米倉丹後守(西尾丹後守ともいう)の邸があった。

今は、坂とはいっても階段になっている。

 

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うしなきざか 赤坂から青山へ抜ける厚木通で、路面が悪く車を引く牛が苦しんだため名づけられた。 さいかち坂ともいう。

今は、とてもきれいに舗装されていて、クロネコさんの運搬カーゴも楽々通れる。

 

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だんじょうざか 西側に吉井藩松平氏の屋敷があり、代々弾正大弼(だいひつ)に任ぜられることが多かったため名づけられた。

赤坂御用地東側に接する坂道。

 

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くろぐざか 江戸時代の一ツ木町名主秋元八郎左衛門の先祖、九郎九が住んでいて坂名になった。鉄砲練習場があって鉄砲坂ともいう。

弾正坂と九郎九坂に挟まれるように豊川稲荷がある。多くの芸能人が寄進した提灯がならび、知った名前を探すのも楽しい。稲荷と名が付くが、曹洞宗のお寺だそうだ。

 

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きのくにざか 坂の西側に江戸時代を通じて、紀州和歌山県)徳川家の広大な屋敷があったことから呼ばれた。赤坂の起源とする説がある。

赤坂御用地の広大な敷地の東側の坂道。

 

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あんちんざか 付近に安鎮(珍)大権現の小社があったので坂の名になった。武士の名からできた付近の地名によって権田原坂ともいう。

赤坂御用地の北側、並木が美しい。撮影した日はオリンピック最終日で、交通規制中だった。

 

 

これで、港区の標識のある坂道はだいたい制覇したのではないかしら。見返せば、写真の羅列だけで中身はスカスカ。正しい内容を求めていろいろ調べるのは大変なことだと改めて思った。

まぁ、体力勝負のおばあさんの「真夏の大冒険」ということで…