梅雨の合間の坂道巡り(5)

三田周辺は、実はあまり歩いたことがなく、地図で坂道を拾いながら歩くことになった。

 (写真のキャプションは標識に記してある説明文を借用しています)

 

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.ゆうれいざか 坂の両側に寺院が並び、もの寂しい坂であるためこの名がついたらしいが有礼坂の説もある。幽霊坂は東京中に多く、七ヵ所ほどもある。

  たしかに、両側にお寺があり、昔は寂しかったのかもしれないなぁ。

  

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ひじりざか 古代中世の通行路で、商人を兼ねた高野山の僧(高野聖)が開き、その宿所もあったためという。竹芝の坂と呼んだとする説もある。

  ほほぉ、ここを高野聖が行き来したのかぁ…

泉鏡花の雰囲気はまったくないけれど、このさきに怪しい建築物はあった。

 

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蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)

詳しくはこちらで

 

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しおみざか 坂上から芝浦の海一帯を見渡し、潮の干満を知ることができたため、この名がつけられた。

 この坂の上に立てば、潮のにおいもしたのかもしれない。

 

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へびざか 付近の藪から蛇が出ることがあったためと想像されている。

 坂の上は普連土学園。建物のレンガの壁面の前に鉄砲ユリが咲き、いかにもキリスト教系の学校という印象だ。

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普連土学園

 

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あんぜんじざか 坂の西に、江戸時代のはじめ安全寺があった。誤って安珍寺坂、安楽寺坂、安泉寺坂などと書かれたことがある。

 この坂を下りきって桜田通りを渡ったところに、行列が取り囲んでいるビルがあった。

ラーメン二郎本店だそうだ。通りかかったのは午前10時前だったのにこの行列は朝ごはん?昼ご飯? 今までどれだけの慶大生のおなかを満たしてきたのだろう。

 

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つなざか 羅生門の鬼退治で有名な、平安時代の武士渡辺 綱(わたなべのつな)が付近に生まれたという伝説による。

 ラーメン二郎を横目に見て木陰が続く長い坂道を上がる。左側の美しい塀は綱町三井倶楽部である。(綱町三井倶楽部はウン十年前に友人の結婚式に招かれていったことがある) 右側の木陰はイタリア大使館である。

 

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つなのてびきざか 平安時代の勇士 源頼光の四天王の一人、渡辺綱にまつわる名称である。姥坂(うばざか)とも呼んだが、馬場坂の説もある。

 渡辺綱と言えば、植物の世界にもその逸話がある。美しい花なのに、渡辺綱が切り落とした鬼の腕に似ていると、羅生門かずらの名をつけられたシソ科の植物。ハイキングで出会えたらラッキーなのに、とんだ言いがかりをつけられたものだ。

 

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しんめいざか 天祖神社を元神明というところから神明坂と呼んだ。馬場坂という説もあるが、綱の手引坂との混同があるらしい。

 

 

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ひゅうがざか 江戸時代前期南側に徳山藩毛利日向守の屋敷があった。袖振坂ともいった。由来は不明である。誤ってひなた坂とも呼んだ。

 

アイドルグループ日向坂46はここからとったのだろうか?「けやき坂」には、港区の標識はないが(たぶん六本木ヒルズの開発会社が名付けた新しい坂道なのだろう)日向坂にはあります。(読み方が違うけど…)

 この坂を下りきれば麻布十番だ。

 

 

港区の坂道探訪、始めたのは梅雨の時期だったのに、早くも盛夏となってしまい、日中歩き回るのも大変です。

でもがんばる!たぶん次回が最終回です。