「国際避暑地」中禅寺湖畔をめぐるハイキング 2023/08/29

7月も8月も、不要不急の外出はするなと言われ続けて、ずっと家の中でくすぶっていたけれど、とうとう我慢できなくなり、「国際避暑地」に行くことにした。

 

スタートは中禅寺湖畔ボートハウス、そこから中禅寺湖の岸辺をぐるりと回るコースだ。

ボートハウスからの眺め 水遊びに興じる人もいる

樹木の下の散歩道は涼しくて気持ちがいい。日本の暑い夏をやり過ごすためにたくさんの外国人が湖畔に別荘を建てていたのだそうだ。

ブラタモリの本から  大正時代の様子

 

当時の面影を残す石積み
木陰のきのこなど
さらにきのこなど

牧野博士さながらに、おまん、だれじゃ…と写真を撮りながら歩いた。


途中で遊歩道から離れてお参りした二荒山神社 男体山への登山口になっている

 

日光市では6月にG7栃木県・日光男女共同参画・女性活躍担当大臣会合が開催された。その記念モニュメントがあった。

ここで方角を変えて南へ進む。

中禅寺 立木観音

拝観料がお高いのでパス!でも看板の写真は撮らせていただいたので載せておこう。

中禅寺

中禅寺は、 延暦3年(784)、 日光開山 「勝道上人」によって建立されたお寺で、 世界遺産「日光山輪王寺」 の別院です。 御本尊「十一面千手観世音菩薩」(国指定重要文化財) は、 勝道上人が中禅寺湖上に千手観音様をご覧になり、その姿を 「桂の立木」に彫ったお像と伝えられています。 観音様は、現在も地に根をはり、訪れる人々を穏やかな表情で迎えます。 また、坂東三十三観音霊場の第十八番札所として多くの巡礼の方たちもご参拝になります。

中禅寺が創建された当時、立木観音は男体山の麓(現在の二荒山 神社中宮祠) にあり、 仏と神を並べ祀る 「神仏習合」のお寺でした。 男体山登拝口に当たるため、 男体山巡礼の起点としての役割も果たしていました。 しかし、明治維新神仏分離令が行われるさなか、 明治35年(1902)9月28日に発生した男体山の山津波 (土砂崩れ)で立木観音は湖水に流されてしまいました。 しかし、観音様は奇跡的に何百メートルも離れたこの地 「歌ヶ浜」に漂着し、皆は「観音様がこの地を選んだ」といい、中禅寺は現在地に移築され たのです。

 

楼門

中禅寺の入り口で、 左右に仁王尊が祀られています。 仁王尊は金剛力士像ともいい、 力士がモデルとなった尊像です。 境内に災厄が入り込まないように護っています。 右側を密釋金剛、 左を那羅延金剛と申します。

 

 波之利大黒天堂

立木観音の化身です。伝説によると勝道上人は当初2回、男体山の登頂を断念し、3回目の登頂の前に、勝道上人は中禅寺湖の岸で一心に祈祷を行いました。すると勝道上人の前に 「大黒天」が現れ、その助けで登頂を果たすことができたと伝えられています。

 

本堂

立木観音を奉安するお堂です。 勝道上人は、中禅寺湖の上に金色の観音の姿を感得し、一刀三礼して桂の立木をそのままに、千手観音を彫り出したといわれます。そのようなことから「立木観音」という呼び名となりました。観音様の頭頂にある十一面の顔と千の手と眼は、全ての人々を救うという観音様の誓願を表しています。

 

五大堂

本堂の奥手、京都・清水寺さながらの舞台作りの上に建てられた五大堂には、江戸時代初期に造られた「五大明王」がお祀りされています。 五大明王密教の根本仏、5つの仏の智恵の象徴で、中尊は不動明王 です。

五大堂の天井には日本画家 堅山南風画伯による壮大な「龍」が描かれ、 お堂からは中禅寺湖男体山の壮大なパノラマを臨むことができます。

 

湖畔でくつろぐ人々

思い思いにチェアを置いて寝そべったりお弁当を広げたりしながら静かな湖を眺め、これで温泉に浸かっていたら最高だよね… などとおしゃべりしている。

 

さて、さらに足を延ばすと英国大使館別荘記念公園、イタリア大使館別荘記念公園がある。

 

イタリア大使館別荘は外にも内にも杉皮を使ったおしゃれさ
なんて素敵な眺めなんでしょうか

 

おとなり、英国大使館別荘も開放的

暑い暑いとは言っても秋は近いのかな… 赤とんぼがたくさん飛んでいた。

 

最後は華厳の滝へ。

滝というものは長い時間をかけて後退していくらしい。華厳の滝は1年間に約1.8cmとか。私が訪れたのは小学校の修学旅行以来だから、もう1m弱後退している?ほんとかな…

 

田母沢御用邸金谷ホテル歴史館も行きたかったけれど、時間切れ。

まだまだ見どころの多い日光なので、また出直すことにしましょう。

ログの終了ボタンを押し忘れているので、歩いたのは10Kmぐらいか。。

それにしても男体山の標高線の美しいこと!