季節外れの寒さに見舞われた10月の始まり、晴れ間を狙って歩きに行ってきた。
場所は埼玉県白岡市。遠いようだが湘南新宿ラインで新宿から乗り換えなしで行ける通勤圏だ。
実ヶ谷久伊豆神社
白岡町大字実ケ谷字宮前
実ヶ谷久伊豆神社は、嘉吉元年(一四四一)の創建といわれる。祭神には大己貴命ほか四柱が祀られている。当社の由緒を伝えるものに、日高市聖天院の鰐口(県 指定文化財)がある。この鰐口の表には「久伊豆御宝前 願主衛門五郎 武州崎西郡鬼窪郷佐那賀谷村」、裏には「大工渋江満五郎 応仁二年戊子十一月九日」の銘 がある。すなわち、この鰐口は願主の「衛門五郎」が応仁二年(一四六八)、渋江(現岩槻市)の鋳物師「満五郎」に造らせ、当社に奉納したものである。銘文中の「鬼窪郷」とは、武蔵七党の一つである野与党の有力者鬼窪氏の本拠地で、当町の大字小久喜・大字実ヶ谷・大字白岡を中心とした地域が相当すると考えられている。
平成十年二月
観音堂・百庚申
白岡市岡泉字神台
観音堂の由緒は不明であるが、本尊には十一面観音と不動尊が祀られている。お堂の周囲には「庚申」と刻まれた石塔が約百基並んでいるが、これを「百庚申」といい、萬延元年(一八六〇)の庚申の十一月吉日に造立されたものである。
入口にある「百体庚申の碑」は中島撫山の筆によるもので、百種類の書体で書かれた「庚申」の文字が刻まれている。
お堂の右奥には、四基の庚申塔と二基の供養塔、天神祠などがある。 正面に「奉拝庚申待」と刻まれた庚申塔は天和二年(一六八二)に造立されたも ので百庚申とともに江戸時代の庶民信仰を知る上で貴重なものであり、市の文化財に指定されている。
令和四年三月
白岡市太田新井
寺の由緒については詳らかではないが、境内の薬師堂に祀られている木造薬師如来坐像や板石塔婆などによって、古刹であることがうかがえる。 当寺の木造薬師如来坐像は、弘法大師の作と伝えられる優美なもので、胎内には「応仁二年(一四六八)祐栄法印 再興修理」との墨書が残されている。祐栄は、当寺の中興開山である。
また、市内に現存する三体の円空仏の内の一つで「円空作菩薩形坐像」が伝えられている。
この像は、小ぶりな作りながら円空仏の特徴の一つである「微笑み」がよく表われている仏像であり、 木造薬師如来坐像とともに、市の文化財に指定されている。
平成二十七年二月
安楽寺から北へ向かう道は鎌倉街道と伝承されているそうだ。坂東武者が駆け抜けたのだろうか
大徳寺のほど近く、黒沼用水路・三ヶ村落堀交差地点というのがあって、ボランティアの方が白岡の用水について説明をしてくださった。
古くから水の争いが絶えなかったそうだ。
現在では用水と排水の立体交差が9か所もあり、それを観光の目玉にしたいが、ビジュアル的に映えないのだとか… (たしかに!)
でも先人の土木技術はすごいと思うので、いただいたパンフレットをリンクしておこう
http://www.shiraoka-kanko.info/img/shiraokakawamonogatari.pdf
用水沿いの遊歩道を秋の風に吹かれながらしばらく歩くと住宅地に入り、先ほどのボランティアの方と同じジャケットを着た人が住民の方とダリアの花束をやり取りしていた。
「獅子博物館はここですよ」と声をかけてくださったので、それでは見ていくことにしようかと、個人のお宅の裏口のような入口に手をかけると、先ほどのダリアのご夫婦が「ようこそ」と現れた。
1階、2階に所狭しと様々な獅子が並んでいる。聞けば個人で収集されたものだそうだ。
館長と奥様が手分けをして詳しく説明をしてくださった。こちらも自分や家族の話などをしてしまい、なんだかほっこりした時間を過ごした。
ゴールの白岡駅はもう目の前だが、締めにお昼ご飯を…
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