梅雨の合間の坂道巡り(4)

さて、今回は白金、高輪あたりです。

朝の光でよい写真が撮れるかも…と思い、仕事前に訪ねたら、住民の皆さん出したゴミが写りこんでしまい、がっくり。ゴミ回収車早く来て~

(写真のキャプションは標識に記してある説明文を借用しています) 

 

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にっとうざか 日糖坂ともいい、日東紡あるいは日本製糖の用地があったからと伝える。大正初年に開かれた坂と推定される。

 

 

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めいじざか むかしから存在していた道であるが、明治坂と呼ばれたのは大正初年から出あると伝える。

 

 

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しょっこうざか 坂上の丘を、紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられた。むかしの字名は卒古台であった。

 聖心女子学院の赤レンガの壁が美しい坂道。

 

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さんこうざか 本来は坂下専心寺にあった三葉の松にもとづき三鈷(さんこ仏具)だったというが、月日星の三光などともいう。

この坂道の先左側には、ハットリハウスといわれる豪邸がある。深い緑に覆われて地上からでは中をうかがい知ることはできないが、googlemapなどで上空からの写真を見ると、すごいお屋敷だなぁと思う。

 

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ざくろざか 坂名の起源は伝わっていない。ざくろの木があったためか。江戸時代はカギに曲がり、明治に直通して新坂と呼んだ。

 品川駅前から高輪台方面へ上る。

 

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かつらざか むかし蔦葛(つたかずら・桂は当て字)がはびこっていた。かつらをかぶった僧が品川からの帰途急死したからともいう。

 え~、かつらをかぶった僧?何の用事で品川へ??

今は、下りきると高輪ゲートウェイ駅である。

 

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ほらざか 法螺坂・鯔坂とも書く。このへんの字(あざ)を洞村(ほらむら)といった。洞村とは昔ほら貝が出たとも、またくぼ地だから洞という等様々な説がある。

 この洞坂と桂坂に囲まれるように古い洋館がある。知っている人は知っているヴォーリズの建築だとか。今は某企業の迎賓館になっているようだが、誰かが大事に使ってこそ文化財は残るんだなぁ…と感心。

 

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くわばらざか 今里村の地名のひとつである。その起源について、特別の説は残っていない。

 左側に八芳園の入り口がある。その隣に小さなお社があり、説明によると「古地老稲荷神社」といい、火伏の神様だそうだ。霊験あらたかで関東大震災でも東京大空襲でも焼けなかったという。落雷を避ける呪文「くわばらくわばら」と相まってなにか最強のパワーがある気がした。

 

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ひよしざか 能役者日吉喜兵衛が付近に住んだためと伝える。ほかに、ひよせ・ひとせ・ひとみなどと書く説もある。

 八芳園からシェラトンホテル方面へ下る坂道。

 

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ぎょらんざか 坂の中腹に魚籃観音を安置した寺があるために名づけられた。

 日吉坂を下りきって白金高輪駅を通り過ぎると間もなく、右手へ折れる坂道。

 

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いさらござか 中国人伊皿子(いんべいす)が住んでいたと伝えるが、ほかに大仏(おさらぎ)のなまりともいいさらふ(意味不明)の変化ともいう。

 

 魚籃坂から続く道。どちらも名前が不思議な響きで、エキゾチックな感じすらする。

 

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てんじんざか むかし坂の南側に菅原道真の祠(ほこら)があったためにいう。葭原が見えるので葭見坂・吉見坂ともいったという説もあるが、北方の坂か。

 

 

さて、次回は三田方面へ行きます!

まだまだ続くよ~