真鶴は石のまちだそうだ。
本小松石という石が採れ、鎌倉時代には鎌倉のまちの建設のために、江戸時代も江戸城の築城や品川台場の築造のために、真鶴港から船で運び出されたという。
そんな石のまちにある古くからの石碑や、最近の彫刻祭の作品を訪ねて回るのが今回のハイキングのテーマだ。(けれど、石は地味。。。見逃してしまったのもいくつもある…)
まずは、お寺さんから
塔身は一つの石からつくり上げられたもので、江戸初期(一六五四建立)の彫刻技術水準の高さを示しています。
そこから少し歩いて海辺へ
西のほうに視界が開けると真鶴半島が見えた。あの先まで歩くのだ!
振り返ると見えるのが小松山(たぶん) かつてこの道を通り、港まで人力で石を運んだ。
創建は平安時代宇多天皇の寛平元年(八八九)六月十五日と伝える。古来真鶴の鎮守 で、漁業や海上安全の守り神ともされ、人々の篤い信仰を受けて貴宮大明神と呼ばれた。 明治初年貴船神社と改称し、同六年郷社に列せられた。大正十二年の関東大震災から復興するに当り、境内を拡張して昭和十年現在地に社殿を移転、同三十八年本格的な造営が完 成した。拝殿内部の彫刻一切は、幕末の巨匠江奈の半兵衛の名作である。
大正三年二月、華項宮博忠王殿下、久通宮邦久王殿下の御参拝があった。
例祭は毎年七月二十七.二十八日・神輿の海上渡御は日本三船祭りの一つとして名高くこれを含む「貴船神社の船祭り」は、昭和三十三年に神奈川県無形文化財、同五十一年に 同県無形民俗文化財、平成八年には国の重要無形民俗文化財に指定されている。
長い石段は煩悩の数と同じ百八段あるといわれる。登りながら数えてみたところもっとあった。たぶん登る人の煩悩の多さによって変わるのだろう。。
昔の上司が「真鶴へ行ったらうに清がうまいよ、ぜひ行きなさい」と言っていたことを覚えている。とうとう来ましたよ~ あれから何十年も経っているのに予約がないと入れないご繁盛ぶり、美味しいのでしょうねぇ。でも一人で船盛は食べられないので、泣く泣くパス。
振り返ると真鶴港の向こうには雪化粧した連なる山々が見えた。方角からすると丹沢だろうか。
さらに山道を登っていくと、いよいよ真鶴のシンボル「三ツ石」が眼下に見えてきた。
三ツ石は日本でも珍しいトンボロ現象(普段は海によって隔てられている陸地と島が、干潮時に干上がった海底で繋がる現象のこと)がみられる場所だそうだ。三ツ石の磯場は足元が悪く、潮が満ちてくると戻れなくなるので渡るのはお勧めしません、と書いてあった。実際に降りてみると、丸い石がゴロゴロしていて海藻も生え、渡る以前に足をくじきそうだった。
そうそう、石の彫刻も紹介しておかなくては…
中でも印象に残ったのはこちら
石の側面にひそかに北斗七星の形に穴をあけ、古代蓮の種を埋め込んであるそうだ。(気が付かなかった…)
作者が予想する10万年後に花開くだろうか。何回転生したらその時に立ち会えるかわからないが、見てみたいものだ。
10万年後の世界に鳥はいるだろうか。春めいてきた光に誘われたのか、写真に収まってくれた鳥たち
最後に訪れたのはお林展望公園だ。パークゴルフを楽しむ人々の間を抜けて先端まで行くと初島が風景の中心に見えた。
けっこうアップダウンのあるコースだったが、膝が痛くなることはなかった。九月から続けているフィットネスの成果だと嬉しいのだけれど。
10.4Km