四谷は何度も歩いたけどなぁ、と思いながらも夏の間になまった足を鍛えなければとコースに出た。
最初の訪問先は帝国データバンク資料館。
信用調査業の始まり
The Origin of Mercantile Agency
信用調査の歴史は古く、手形に代表される信用取引 の発生までさかのぼります。 信用取引を行う際、取引先の営業状態や支払能力などがわからなければ貸倒損失のリスクが増大します。このリスクを避けるため、当事者がみずから取引先を調査したことが信用調査の始まりと考えられています。産業革命後のイギリスでは、商取引の範囲や規模が拡大したことをきっかけに、第三者機関が信用調査を行うようになりました。これが信用調査業の始まりです。以後、信用調査機関は健全な経済活動に欠かせないものとして、資本主義経済の発展に寄与してきたのです。
信用調査業の歴史など興味深かった。
次に津の守坂(つのかみざか)を上がり、新宿歴史博物館の前を通って四谷三丁目へ。
玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石槌・木槌といった水道管を地下に埋設して通水した。水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
定
以下省略
次の交差点、四谷四丁目には「玉川上水・四谷大木戸跡」があった。甲州街道における江戸の出入り口である四谷に設けられた関所だそうだ。
四谷大木戸碑は、昭和三十四年十一月、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石槌を利用して造られた記念碑である。実際の大木戸の位置は、ここより約八〇メートル東の四谷四丁目交差点のところで、東京都指定旧跡に指定されている。
江戸初期に初代内藤清成が屋敷内(現在の新宿御苑)に家祖である藤原鎌足を祀ったのが始まりと伝わる。1886年に現在地に移転。徳川家康が初代内藤清成に「馬でひと息に回れるだけの土地を与える」と話し、その時に一帯を駆け回った馬を記念した「駿馬塚」がある。
その馬がひと息でまわった土地は、南は千駄ヶ谷、北は大久保、西は代々木、東は四谷だってよ~ そして回り終わって息絶えたんだって。どんなひと息よ、かわいそうに。。
ここからコースは南に向かい、外苑を回って四谷に戻るのだが、私は離脱して新宿御苑へ行った。ぐるぐる歩き回ってだいぶ距離を稼いだ。
初秋の気持ちよいお散歩だった。9.1Km
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ここからは(長~い)おまけ。
新宿御苑に行ったのは秋バラが咲いているかも…と思ったから。でも、行ってみたら全然!これからなのか、もう咲かないのかわからないが、小さいのがポチポチと見えるだけだった。しかも虫食いも多い。写真は撮ったがあんまりなので、名前を頼りにネットで”あるべき姿”を探して、右側に並べてみた。