東京のベニス?芝浦運河から天王洲を巡るキャナルサイドウォーク! 2022/03/19

歩きやすい季節になったので、駅からハイキングのコースもいろいろ用意されている。

この日のスタートは田町駅

まず最初に行ったのは、港区立伝統文化交流館というところ。中には入らなかったので何をやっているのかはよくわからなかったが、「千と千尋の神隠し」に出てくるような建物だった。

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港区立伝統文化交流館

 

このあといよいよ運河沿いの道へ。

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ヤナセ本社

芝浦とヤナセ
三井物産の機械部にいた梁瀬長太郎が大正4年に独立して梁瀬商会を創立したのが始まり。 三井物産から輸入自動車と 鉱油類の一手販売権を譲り受け、日比谷公園前に270坪を借り受けて店舗と工場設備を持ち営業を開始した。
しだいに事業は伸長して麹町区銭瓶町を手始めに、全国に事業所を拡大、大正8年3月には芝浦へ進出した。 当時の芝浦は、東京市港湾部の事業として埋め立てられた12万坪の広大な空地にあり、土地利用計画もまだ立っていなかった。この地の賃借権を得た同社では、期限の切れた昭和34年に同地を取得した。
そのころの芝浦の情景について、2代目社長の梁瀬次郎は、「見渡す限りの丈なす草原で、埋め立て後十数年も放置されていて、見る影もなかった。埋立地の間の掘割には橋もなければ道路もなく、掘立小屋がところどころに散らばり、岸壁に釣り人が見受けられる程度で、 電気水道はもちろんガス等の設備も何もない、荒野であった」という。
大正年間は、東京市は財政難の時期で、この広大な土地の売却を計画し、払い下げ入札をした。応札は梁瀬と中野貫一氏であった。 入札の結果、土地は当時の石油王と称せられていた中野氏が入手した。 しかし中野氏にさしあたっての利用計画がなかったため、 梁瀬は同氏と交渉し、その一部15,000坪を40年間という期限で賃貸契約し、昭和34年から同地を取得したもの。以来ここはヤナセの主要工場として重要な働きをし、終戦後一時米軍に接収されたが、解除後は本社となり現在に至っている。
芝浦一丁目町会70周年史 『変わりゆくわが町』より

 

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運河沿いの散歩道

黄色い船はTokyo Water Taxiだ。桜の下をのんびり船で周遊するのもいいかもしれない。

 

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夕凪橋とモノレール

複雑な掘割をあっちへ行ったりこっちへ行ったり、いくつもの橋を渡ったが、高層ビルとモノレールと小舟たち…なんていう風景もあった。

 

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ワンちゃんのうんちのことをpoopというのか…と妙なことに感心したり

 

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東京海洋大学 雲鷹丸

www.kaiyodai.ac.jp

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河津桜はもう葉が出始め

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寒緋桜は鮮やかな色

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ミッフィー

東品川会場公園のミッフィーちゃんは似てるのか似てないのか…

 

ゴールは天王洲アイル駅でした。

水辺の散歩は歩くのが楽でおしゃれでよいのだけれど、においがどうもね。。

 

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約8.7Km