前日とは打って変わって都内を歩く。やはり土地勘があると歩くのは楽だ。
出発は上野駅入谷口。
上野公園のこの緑の幕は、コロナ対策でお花見に人が集まらないよう設置されたんでしたっけ?なんか無粋ですなぁ。。
お顔だけになった上野の大仏様は「合格大仏」として大人気。なんでだろう。。
仲良く同じ入口の二つの神社。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地だったそうだ。
不忍池に沿って南へ下り、春日通りに出ると元祖小倉アイスの「みつばち」さん
そのまま春日通りを西に進むと湯島天神だ。今日も大賑わい。
湯島天神から南に下る途中でちょうど正午になり、ニコライ堂の鐘の音が盛大に鳴り響いた。
お茶の水の名所「聖橋」の根本はこんなふう
「聖橋」の名前の由来は、両岸に位置する2つの聖堂(湯島聖堂とニコライ堂)を結ぶことからつけられたそうだ
楷樹の由来
楷 かい 学名とねりばはぜのき うるし料
PISTACIA CHINENSIS. BUNGE楷は曲阜にある孔子の墓所に植えられている名木で初め子貢が植えたと伝えられ今日まで植えつがれてきている
枝や葉が整然としているので書道でいう楷書の語源ともなったといわれている
わが国に渡来したのは大正四年 林学博士 白澤保美氏が曲阜から種子を持ち帰り 東京目黒の農商務省林業試験場で苗に仕立てたのが最初である
これらの苗は当聖廟をはじめ儒学に関係深い所に頒ち植えられた
その後も数氏が持ち帰って苗を作ったが性来雌雄異株であるうえ花が咲くまでに三十年位もかかるためわが国で種子を得ることはできなかったが幸いにして数年前から二三個所で結実を見るに至ったので今後は次第に孫苗がふえてゆくと思われる
中国では殆んど全土に生育し 黄連木黄連茶その他の別名も多く秋の黄葉が美しいという
台湾では爛心木と呼ばれている
牧野富太郎博士はこれに孔子木と命名された
孔子と楷とは離すことができないものとなっているが特に当廟にあるものは曲阜の樹の正子に当る聖木であることをここに記して世に伝える昭和四十四年己酉秋日 矢野一郎 文
平成二十年戊子秋日 松川玉堂書
聖橋を渡って中央線の南側へ。
太田姫神社:江戸城を作った太田道灌の娘が天然痘に罹った際、道灌が京都の一口稲荷神社が霊験あると聞き回復を祈願したところ治ったため、一口稲荷神社を勧進して長禄元年(1457)に建てられた。
再び聖橋を渡って北へ。
最後は江戸の総鎮守神田明神、いつもながらにぎやかだ。
同じ場所をぐるぐるしていた気もする7.2Kmでした