御茶ノ水駅は開業120周年だそうだ。
建国記念の日に駅からハイキングでちょっと散歩に行ってきた。

昭和三十七年六月二十一日文部省指定
重要文化財
東京復活大聖堂
(通称ニコライ堂)この聖堂は明治十七年三月に起工し工期七年を以って同二十四年二月完成したもので、設計者はロシア工科大学教授シチュールポフ博士、工事監督は、英国人コンドル博士です。
頂上までの高さ三五米
建坪三一八坪
壁厚 一メートル乃至一、六三メートル日本最大のビザンチン式建造物として知られております。

紅梅坂
明治時代に、武家地であったこの地域に駿河台西紅梅町・東紅梅町という町名がつけられました。そのため、この坂道も、紅梅坂と名付けられました。関東大震災後に本郷通りが新設されて分断されるまでは、東側にある幽霊坂と一本の坂道でした。
首都高をくぐる直前に奇妙な像があった。冬桜との取り合わせもなにかミスマッチだった。

金銅鎚起 豊展観守像
この彫刻は、活気とやすらぎ・教育と文化の町として知られる千代田区に住む人々の豊かさと発展する町を観守する姿を、こがね虫と人間の擬人化により、造形表現をして製作されたものであり「彫刻のある町・千代田区」として潤いと個性のある歴史と文化を重視した新しいまちづくりを願う久保金司氏より、神田の魅力を記録した写真集、神田っ子の昭和史「粋と絆」の浄財をもとに本区に寄贈されたものです。
平成三年九月
千代田区
こがね虫と人間の擬人化だって。よくわからない。。

一橋徳川家屋敷跡
一橋徳川家は、寛保元年(1741年)徳川八代将軍吉宗の第四子宗尹が江戸城一橋門内に屋敷を与えられたことがはじまりである。
一橋家・田安家・清水家は御三卿と呼ばれ、御三卿は将軍家に世継ぎがなく、御三家(尾張・紀伊・水戸)にも将軍となりうる該当者がいない場合に将軍を送り込める家柄で、十万石の格式をもち、直属の家臣団を持たず、将軍家の身内として待遇された。 当家は、二世治済の長男家斉が十一代将軍となり、水戸家より入った一橋九世が徳川最後の十五代将軍徳川慶喜であり、御三卿の中でも幕政に深く関わった。
敷地は広大で、この一角のほか気象庁・大手町合同庁舎付近まで及んでいた。
今は大きなビルになっているが、振り向けば江戸城に通じる平川門が目と鼻の先だ。

平川門から入って皇居東御苑に寄り道して行こう

うららかな日差しの中、梅が見ごろを迎えていた。
休憩所では皇室ご一家のカレンダーが売られていた。昭和天皇のカレンダーにはお歌が添えられており、文語調で格調高く思われた。

静かなる神のみそのの朝ぼらけ 世のありさまもかかれとぞ思ふ

江戸城の模型の展示もあった。
東御苑を出たあとは千鳥ヶ淵を通り半蔵門を通り、FM東京の角から四谷方面へ向かう。迎賓館や学習院初等部を横目でながめ、靖国神社の壁沿いをひたすら歩く。
思えばこの辺りを歩くのも久しぶりだ。お気に入りの洋菓子屋さんがあったのだけれど、見逃したかしら。。
祝日だったのでお店も閉めていたのでしょう。
九段坂を下りきり、左に折れて再び御茶ノ水を目指す。
カレー屋さん、楽器店が立ち並び、学生街の活気が伝わってくる。
最後にちょっとだけ寄り道して、山の上ホテルを見てきた。

明治大学が買い取ったということだが、この後どんなふうに変わっていくのだろうか。

久しぶりに10キロ以上歩いて脛の筋肉痛が1週間続いた。