知られざる魅力発見!「歴史講談水戸漫遊」で幕末水戸紀行!城下町水戸の痕跡めぐり 2023/03/04

今日は水戸へ!

上野駅7/8番線

旅情を誘う電光掲示であります。

降り立ったのは偕楽園駅(臨時)たくさんの観光関係の方々の出迎えを受けた。

水戸の梅大使

駅から石段を登った先の常盤神社の周辺はすごい人。屋台が立ち並び、行き交う人も「めっちゃ祭りじゃん!」なんて言ってるし…。

何年かぶりのコロナ制限なし、天気上々ゆえの人出なのかもしれないが、たぶん、その多くは境内で行われている梅酒まつりにありんこのようにたかっているようだった。

 

人混みを通り抜けて神社の横にある静かそうな義烈館というところに入って、気持ちを鎮める。

義烈とは義公と烈公のことで、義公とは二代藩主徳川光圀、烈公とは九代藩主徳川斉昭のことだそうだ。

展示物には、光圀公が「山村には医もなく薬もなく、治療を受けられず天命を全うすることができないものが多いのは残念である」として田舎でも手に入れやすい薬の処方を命じて編集された「救民妙薬集」や、斉昭公が農民の苦労をしのび作ったという農人形などがあった。斉昭公は朝夕感謝を込めて最初の一箸をこの人形に供えてから食事をしたそうだ。『朝な夕な 飯くふごとに 忘れじな めぐまぬ民に めぐまるるみは』

この二人が水戸の誇り、敬愛するお殿様なのだ。

 

常盤神社

ありんこの群れだなんて言ってごめんなさいね、と善男善女に頭を下げつつ、鳥居の前を通り過ぎて偕楽園入口へ向かう。

これまたすごい人混みだ。入場券を買うのに行列ができているらしく、電子チケットなら早いですよ~とQRコードを掲げている人がいる。それなら…と接続を試みるが、電波状況が悪くなかなかつながらない。混んでいる東門から入るのをやめて表門に向かった。

表門

はぁ、やっと入れる。

孟宗竹林

偕楽園と言えば梅が有名だが、こんな風景もあり…

吐玉泉

 吐玉泉(とぎょくせん)

 このあたりは昔から湧水の多かったところで、徳川斉昭偕楽園造成に当たり地形の高低差を利用して集水し、造園上の景観を考慮した白色の井筒を据えた湧水泉を設置しました。この水は眼病に効くといわれ、好文亭の茶室「何陋庵」の茶の湯にも供されました。

泉石は常陸太田市真弓山の大理石で、寒水石ともいい ます。現在の泉石は四代目で、昭和六十二年(一九八七年)十二月に更新したものです。

湧出量は、一日約100㌧です。

この水の流れる先ではお雛様が舟遊びをしていた。

雛流し

 

梅もちょうど見頃

偕楽園って広い!100品種3000本の梅の木があるそうだ。

ぐるりと一周までできず半分ぐらい回ったところで、水戸の街に出ることにした。

偕楽園のたくさんの梅の木も見ごたえがあったが、民家の裏庭にも立派な梅の木を見かけた。この見事さが写真でわかるだろうか

旦那横丁のうなぎ屋さん

水戸周辺はかつてうなぎの名産地だったという。横町に香ばしい匂いが漂う。

 

レトロな建物

藤田東湖生誕の地

藤田東湖は斉昭の側近で、安政江戸地震で命を落とした。「青天を衝け」では渡辺いっけいが演じていた。

近世日本の教育遺産、「弘道館」には裏からお邪魔しますよ

弘道館鹿島神社

 

孔子廟

八掛堂

特別史跡 「旧弘道館八卦堂・弘道館記碑 

建学精神を刻む弘道館記碑を収める八卦堂は、藩校当時は敷地の中央に位置していました。 八角面の軒下に万物変化の相を示す八卦の算木を配し、その堂内には万古不動の日本の道を説く弘道館記碑を置くという構成には、徳川斉昭の宇宙観が込められて います。

弘道館記碑の碑石は、 久慈郡真弓山(常陸太田市)から切り出された寒水石 (大理石) で、大きさは高さ3.18m、幅1.91cm、厚さ0.55mです。 八卦堂は、昭和20年(1945)の空襲で全焼し、同28年に復元されました。

東日本大震災で八掛堂は壊れなかったが碑石は粉々と言っていいほどのダメージを受け、強化プラスチックなどを使って修復してあるそうだ。

 

正門

特別史跡 「旧弘道館重要文化財

正門

天保12年(1841)の創建時に建てられた弘道館の正門です。 本瓦葺四脚門という建築様式で総欅造りです。藩主の来館や諸儀式を行うときにのみ開門しました。向かって右の門柱にみられる弾痕は、明治元年(1868) に起きた弘道館の戦いで生じたものです。 正門および正門南10.0m、 北11.4mの塀が重要文化財に指定されています。

孔子廟も正門も普段は開いていないらしい。ラッキーだった。

左近の桜

特別史跡 「旧弘道館

左近桜

初代の桜は、徳川斉昭正室 登美子が水戸家に御降嫁されたときに仁孝天皇から賜った紫宸殿の左近の桜で、弘道館 創設時にここに植えられました。3代目となるこの桜は、昭和38年(1963)に弘道館の修理工事が完了したのを記念し、宮内庁から縁の苗をいただいて植えられたものです。

 

弘道館の庭から

「遊於芸」の扁額が見える。論語の一節だそうだ。

 

弘道館を出て、那珂川に臨む台地のヘリまで行ってみた。

 

さぁ、この辺りで時間切れだ。駅に向かわなくては…と思ったところでスマホのバッテリーも切れた。

スマホを使った音声ガイド「歴史講談水戸漫遊」というのもあり楽しかったのだが、充電の消費が激しい。

スマホが使えなくなるとなにもできない!ということを改めて実感した。

まだまだ見どころの多い水戸、また機会があれば訪れたい。

 

人が多かったところは電波(?)も大混乱だ

11Kmぐらいかなぁ