蒲田周辺を歩く 2021.11.13

この日もまたまた駅からハイキング

東京湾の潮風と昭和からの移り変わりを感じる秋のお散歩」に参加した。

スタートはJR蒲田駅

 

女塚神社

現在の社地には、新田義興公憤死のおり、侍女であった少将局が忠節を尽くしてともに害せられたのを村民が憐み、この地に祀ると伝えられ、八幡社を遷座する以前より村民の崇敬の厚い聖地でありました。現在も境内の一隅に女塚霊神の塚が残っています。   ーーホームページから

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女塚神社

 

御園神社と椿神社

どちらもご祭神は猿田彦命だそうだ。道の神様というから交通の要衝にあったのかもしれない。

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御園神社と椿神社

稗田神社と北野神社

稗田は蒲田の間違いであるとか…

北野神社は御園神社と同じく、多摩川の洪水によって神様が流れ着いたとか…

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稗田神社と北野神社

 

ここまでの五社を取りまとめている蒲田八幡神社をうっかり通り過ぎてしまった。(^^;

 

ここからは呑川沿いを海に向かって歩く

呑川の由来
この緑地には、近年まで呑川が流れていましたが、昭和三十年代半ばから区が埋め立てを行い、その後昭和五十年には現在のような緑地になりました。
呑川の水源は、世田谷区内の旧深沢村の南部一帯といわれ、本区をほぼ縦貫して東京湾にそそいでおります。名前の起こりは、大雨のたびに氾濫し流域の田畑を呑みこんでしまったからとも、または貴重な飲み水であったからともいわれていますが定かではありません。
呑川は、はじめは灌漑用水や飲料水として利用されましたが、その後は有名な「大森海苔」の生育に必要な栄養分を運ぶ河水となったり、特に下流は海苔船の交通路としても大切な役割を果たしました。そして在来の呑川が夫婦橋下流付近から北東に蛇行しているのとは別に、昭和十年、糀谷の田畑を一直線に東進して藤兵衛堀に至る新河川(新呑川)を設け、従来の呑川と共に活用されました。
しかし付近に住宅や工場が増え、水や海がよごれ、更に肝心な海苔場が東京オリンピックを契機に埋 め立てられるにおよび、大森の伝統産業も昭和三十七年に終わりを 告げました。   ーー川沿いの掲示板から

 

海に出たよ~

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大森東避難橋

 

大森ふるさとの浜辺公園は白い人口浜辺が作られ、今の季節は気持ちがいい場所だ

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大森ふるさとの浜辺公園

 

「大森 海苔のふるさと館」は江戸中期から1963年までこの地で海苔が作られていたことを記録し、後世に伝えるために作られた博物館とのこと。ちょっとお手洗いを拝借、と思って入館したのだが、1階フロアに展示された海苔船とそこで語られるおじいちゃんと孫の会話、海苔づくりの苦労話に泣かされてしまった。海苔を粗末にしてはいけません。

 

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この日の道のりは約10Kmでした